オリビア事件簿その1
ストーカー事件
Sometimes I think he loves her just a little too much!

ラルフ・ノウ事件

1980年、25歳のラルフ・ノウ(Ralph Nau)はオリビア・ニュートン・ジョンが彼に恋をして
レコードや映画の中に彼に対する秘密のメッセージを盛り込んでいるのだと
思い込むようになり、84年までに、不気味な手紙を何百枚も送りつけた。

ある日から、彼の妄想の「マリア」が脳裏に出現し始めた。
シェールとオリビアを追いなさいと。この2人はあなたのことを愛し、
必要としているのよ、彼の心の中のマリアは指示した。
彼は、オリビアに狙いを絞り、毎日3〜5通の手紙を送りつけるようになった。

26歳になったラルフは、表向きは、動物病院で住込みで働く、まじめな良い青年だった。
しかし彼の部屋中にベタベタはられたポスターや写真や、相手が誰だろうとオリビア
のことしか話さないといった行動から、職場の人間は、彼のオリビアに対する偏執に
気付いていた。
病院に入院中だった子犬が気になってしょうがなかった彼は、じつはその子犬は
オリビアとやりとりする暇をもてなくしようとする陰謀だと判断し、だれにも知られない様に
睡眠薬を大量投与して子犬を殺害した。
そしてつぎに、オリビアに送った手紙に、その犬の歯を同封した。

事前にオリビア側はスター専門の探偵ギャビン・デ・ベッカーのスタッフを雇い身辺警備に
あたっていた為、その手紙がオリビアの目に触れることはなかった。
ギャビン・デ・ベッカーは、1980年に歌手シェールが ”ザナドゥ”の差出人住所の
”ショーン・ニュートン・ジョン”と署名された大量の手紙を受け取っている事件をに着手していた。
そして81年、オリビアが、ド・ベッカーに警護を依頼し、彼女に送りつけられたストーカーからの
手紙の山をわたすと、シェールに宛てられた手紙の主と同一人物であることが判明した。
デ・ベッカーのスタッフは、常にラルフの行動をマークすることにした。
用心しながら保安スタッフたちは、山ほどのラルフの写真を撮り、周囲の知人、友人達の
インタビューを収録したが、それでもまだ彼のストーキングに対する法的措置をとることが出来なかった。
彼は職に就いていて優れた従業員として評価されている人物だったので、対抗措置をとることは
きわめて困難に思われた。

1982年、オリビアとの生活が達成できないため、生きて行けなくなったことを理解してくれた
(と彼が勝手に思い込んだ)シーナ・イーストンに一時期、心を傾けた。
そして職場近くにあるユニバーサル・シアターで開催されたシーナのコンサートの最中に
ステージ上に駈け上がろうとしたが、警備員に阻止されてしまう。
彼は内心、ステージにいるのは、ニセモノのシーナ・イーストンなのだ、本物なら
両手を広げて迎え入れてくれるはずだと思い込んだ。

1984年に、彼の職場である病院が売却され、職を失ったラルフは、オリビアの住む
オーストラリアへ向かった。
人生を投げうってる愛の対象であるオリビアが、空港に出迎えてくれていなかったことと、
シドニーのすみずみまで歩き回ったにもかかわらず、オリビアを見つけることができなかった
ことに失望し、行き場もなくなって、アメリカの両親の元に帰った。

同じ年にラルフの義弟デニスが、行方不明になる事件が起こった。
ラルフは、保安官事務所で「2週間前に、ぼくの犬がトラックにひき殺されてしまった。
埋葬したんだけど、ある日卵の貯蔵庫を開いて見たら、その犬の死骸が入っていたよ。

と不気味な話をした。
警察官のチェスター・イアンが、どこに埋めたのかと問いただし、
農場のとうもろこし畑にはえている木の側に犬の死骸を埋めたんだよ」という答えをきくなり
すぐさま捜索活動中の同僚に無線連絡をとった。
数分のちに捜索隊は、少年の遺体を発見した。
遺体はまさにラルフが犬を埋葬したと説明した場所に埋められていた。

ぼくは部屋に向かい、彼に服を着せたんだけど、外に出たときには彼は人間じゃなくなって
いたんだよ。ぼくらが木の側にそばにいくと獣が逃げようとして叫び始めたので、斧をふりかざして
そいつの頭を打った。それから穴を掘って獣を埋葬したんだよ。部屋にもどったときデニスが
いなくなてることに気づいて家族に知らせにいったんだよ。

警察はこれを自白と解釈して、義弟に対する損害致死の罪で彼を正式に逮捕した。
ラルフがこの殺人を行なったと考えるにたる証拠があるように思われるにもかかわらず、法廷に
立つに十分な精神状態に回復するまで州の施設に留置される状況がつづいてしまった。
89年5月、イリノイ州ケーン郡の法廷はラルフが責任能力を有していないと判断し、エルギンにある
精神病院に身柄をゆだねることになった。

もし州がラルフが殺人犯であると信ずるにたる理由を証明できず、彼が危険な人物ではないと
判断された場合、精神病院は彼を自由の身にしてしまうこともありえた。

この年の12月に、ラルフが「グッド・モーニング・アメリカ」の司会者ジョーン・ランドレン
に宛ててだした複数の手紙にショックを受けた裁判官は、ラルフ・ノウを社会の為に危険な人物
であると判決。不確定期間の病院への監禁という措置に変更した。
しかしながら関係者はラルフが近々釈放されるのではないかと見なしている。

彼にストーカー被害を受けていたオリビア、シェール、シーナの3人は、90年に彼を収容する
イリノイ州のエルギン精神病施設の当局者に彼の退院に恐怖を抱いていると共同声明を発表。

マイケル・ペリー事件

ラルフ・ノウ事件と同じころ1980年、映画「ザナドゥ」を観たルイジアナの精神病院を
脱走中のマイケル・ペリーがオリビアをつけ狙っていた。
彼は2通の手紙を送りつけていたが1通には、こう書いてあった。

二人の死体が発見されることになるか、それともぼくの両親の家で二人してステレオで
音楽を聴く事にするのかのどっちかだ。
あなたがレイク・アーサーの街に幽閉されている、じつは夢をかなえてくれる女神(ミューズ)
なのだと教えてくれる声を聞いたよ。

彼はオリビアの邸宅近くにあるマリブ・ヒルズに暮らすようになり、彼女の邸宅に二度にも
わたって侵入しようとした。
二度目の時にデ・ベッカーのメンバーが彼を捕らえ、ストーカー・ファイルで検索したところ、
マイケルがオリビアに脅迫文を送りつけていた主だと確認した。
保安スタッフは彼をカリフォルニアから追放した。
カリフォルニアからもどってきたマイケルは10人の名前が列記された「殺人リスト」を
作成した。
その中には実の両親と親類、最高裁判所判事サンドラ・オコナー(顔がオリビアに
似ているという理由)、オリビア・ニュートン・ジョン、さらにマット・ラッタンジーの名前が
ふくまれていた。

数日後、彼はそのリストにあった5人の親類を拳銃で殺害。
2週間後捜査員たちは、ワシントンDC最高裁判所そばのモーテルに潜んでいた彼を逮捕した。
宿泊していたモーテルには、ブラウン管いっぱいに赤で”オリビア”と書きなぐった六台のテレビが
据えられていた。

逮捕後マイケル・ペリーは、精神分裂症と診断されたが、殺人罪で有罪になり
1985年以来、死刑囚独房に監禁されているが、牢屋の壁いっぱいに
オリビア”と書きなぐってあるそうだ。

(参考文献 "Star Stalker" by Geroge Mair 1995)

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